バンコクで働くコンサルタントの日記

タイの首都、バンコクで働いています。

タイで仕事を始めることになった -当ブログについて-

近々、タイで仕事を始める。

長らく、人生におけるマイルストーンの一つとして定めていたことが、現実として目の前に迫っている。

 

僕には勝手に、自身のキャリア上のMissionとして掲げていることがある。

“日本とタイを中心に、ビジネスを通じて、アジアの発展に貢献する”

というものだ。

 

学生時代にひょんなことからタイという国に縁ができた。その過程で出会った人たちとの数々の記憶に彩られた思い入れの強い土地であり、偏愛の対象でもある。

以降、少なくない歳月を自己投資に費やした甲斐もあり、現地の言葉の読み書きも日常レベルなら支障なくできるようになった。ただ、現地のプロフェッショナルと対等に議論ができるレベルに達しているかどうかは、実際の業務が始まっていない今は、まだ確信を持てていない。

 

言うまでもないが、タイで働くこと、それ自体は目的ではない。

ただ、自分が情熱を燃やし、かつ社会に最もインパクトを与えられる働き方を模索した末、ようやく(自分の考えでは)Missionを実現する環境として最も可能性を感じるファームの一員として、彼の地で働く機会を得ることができたのは、素直に嬉しい。

 

とはいえ、これはあくまで通過点であり、始まりに過ぎない。そこで、惰性にかまけて徒然に日々を過ごさないよう、日々の自省の為にも、備忘的に日記(のようなもの)をつけていこうと考えた。

 

ひいてはこの個人的な記録が、タイで働くことや、タイという国に関心をもつビジネスパーソンや学生にとって、何か価値のあるものとなるのであれば、これ以上の喜びはない。

日系アドバイザリー会社の自力・地力と、名義貸しの根深い闇

冒頭から刺々しい言い方となるが、海外進出支援コンサルティングを名乗る会社で、大した事業を行っているところは殆どないというのが所感である。

 

各種銀行との提携会社、日系コンサル/ファンド等の現地オフィスを含め、(本邦と同水準の)立派な仕事をしていると思えるファームと相対したり、噂に聞いたことは数える程しかない。最も、一定数、非常に面白いビジネスをしている事例もあることは付記しておく。

 

彼らの時間・労力の大半は、在タイ商工会議所の会員になってから、大学の同窓会・故郷の同友会等の会合に顔を出し、駐在員同士で名刺を配り歩くということに費やされているように見える。自力・地力の不足とは、要するに"日本的な"内向き・蛸壺思考により、現地有力企業とのビジネス創出に一役買うことができていない、場合によってはアポイントすら取れないという現状を指して皮肉を込めて述べたものである。

 

ビジネスの世界では、「誰を知っているか」ということが重要である局面が多いが、それは海外でも同じである。これを奇貨として、現地における豊富ネットワーク、というような至極曖昧なセールストークがされることは多い。しかし、その辺りの商社駐在リタイヤ組のネットワーク等は、たかが知れている。そのため、(具体的な事例は後日述べることにするが)日本人同士で固まってビジネスをしているがゆえに、現地に土地勘がある人間からすればあまりにもセンスのない投資決定がされているのも散見される。

 

話は少し変わるが、タイには外国人事業法(Foreign Business Act)という、外国人・外国法人の事業活動を包括的に規制する法律が存在する。いささか簡易的な説明をすると、非-製造業分野では、原則として過半数の株式を外国人・外国法人が保有することができない。そこで、法の目を潜るためにタイ人から登記上の名義を借りる、という措置が長らく一部では行われてきた。これらのスキームは多くの場合、国内の大手金融機関(及びその息のかかった現地コンサルティング会社)主導で進められており、名義貸しの対価としては出資額に対する15~20%にも及ぶ高水準の法外な“コンサルティング・フィー”を継続的に要求しているケースもある。

 

この点、名義貸しは外国人事業法の趣旨を潜脱する明白な違法行為であり、コンプライアンス及びコーポレート・ガバナンス上、重篤なリスクである。また、実態のないコンサルティングに対する対価の供与は、(株主たる地位への対価供与と看做されるため)株主平等原則にも違反する点で商法上も違法である。驚くべきは、これらが実務慣行として、上場企業においても平然と行われているということだ。

 

名義貸しを利用した日系企業が当局にしょっぴかれた、という事例は聞かないが、刺されても文句は言えないことは間違いない。

何よりも、不当な対価供与が、日系現地企業の損益を圧迫していることは嘆かわしい限りである。実際、個人的にスキーム解消の相談を受けたこともあった。結論としては可能であるが、落とし前をつける為には少なからず労力がかかることを覚悟したほうが良い。

 

従って提言としては、日本人同士の閉じた世界を越えて現地企業と関係を真摯に構築すること、そして二流の日本人・日系企業と同郷のよしみでツルんだ挙げ句にタカられるくらいなら、一流の現地企業とビジネスをせよ、ということを強く言いたい。

語学力は武器となりうるか

語学は武器になりうるか、という問いをここでは少し限定的に提起したい。

すなわち、通訳・翻訳家等の語学能力自体を本源的な提供価値とする一部の職業を除き、海外でビジネスをする上で外国語に関する能力が優位性をもたらすか、というのがその謂である。その前提に立って以下、大きく英語、及び英語以外の言語(いわゆるローカル言語)という順に私見を述べたい。

 

英語

英語はビジネスをする上で武器になる。従って、答えはYESである。

というよりも、英語ができない人間はそもそも土俵に立つことができない。

日本人の英語力を見てみよう。“英語力”の測定する際の試験としては、最も国際的な信頼性が高いと言われている TOEFLの受験者調査(2018年)によれば、アジア域内の全受験実施国28か国中、日本は平均合計得点で26位という悲惨な結果になっている。

ASEAN諸国に目を向けると、日本より低順位につけているのはラオス(28位)のみであり、他の8国全ての後塵を拝しているのが現実である。

参考:シンガポール(1位)、マレーシア(4位)、フィリピン(5位)、インドネシア(8位)、ベトナム(14位)、ミャンマー(16位)、タイ(19位)、カンボジア(24位)

 

国家の教育レベルとしては危機的な状況という他ないが、個人のキャリア形成という目で見るならば、日本人であり、かつ英語が実務で使えるレベルにある、ということは日本人を対象とする人材市場において一定の価値を持つということだ。

仕事の中で、(比較的英語力が高い人材が多いと言われる)日系大手商社と関わることがあるが、帰国子女等のごく一部の例外を除いて不自由なく英語で自分の意見を伝え、議論に遅れをとらないレベルにあるのは、ほんの一握りの人材である。従って、まだ英語力が武器となる余地は大きい。

 

英語以外の言語(いわゆるローカル言語)

こちらについては、留保付きでYESとしたい。

少し個人的な話をすると、僕はタイ語がそこそこできる。英語に関しては(基準としての適否はさておき)TOEICで900点を越えるが、似たような試験があればタイ語でもそれくらいの点数が取れるだろう、というのが自己評価である。とはいえ、あくまで第二言語として後天的に習得した為、早口の若者言葉でまくしたてるコメディーやヤクザ映画を見ても5割くらいしか分からないが、ニュースならほぼ100%聞き取れる。日タイ通訳付の役員会に出席したことがあるが、内容は通訳を介さずとも理解できたし、むしろ誤訳を指摘する場面もあった。

 

しかしながら、正直なところ、“通訳・翻訳家等の語学能力自体を本源的な提供価値とする一部の職業”に就かない限り、自分のタイ語能力が役に立つ、と感じることは少ない。

というのも、基本的にタイ企業には、英語ができる人間が一定数存在するため、意思疎通に関しては英語で十分事足りるからだ。売上数億程度の地方の会社(当然、上場もしていない)とクライアントとの商談に同席したことがあるが、その際にもかなり流暢な英語を話す若者が出てきたくらいである。

 

また、タイを始めとする東南アジア諸国も日本と同じく、上下関係に関する規範が(欧米に比して)細かいため、英語というニュートラルなコミュニケーション手段を用いる方が望ましいのでは、というのが実感である。

タイに限れば、พี่/น้อง(兄姉/弟妹)という親族名称を親族外に対しても常用する(例:職場の同僚や食堂の従業員に対して)ことから、どうしても年齢や年齢差に伴う立居振舞を意識した会話とならざるを得ない。従って、僕個人としては一部の例外を除き、基本的に英語でコミュニケーションを取ることで、こういった社会的な文脈を捨象するように努めている。とりわけ、交渉や契約等、シビアなやり取りをしなくてはならない場面では有効である。

 

では、ローカル言語ができることにメリットがないのかと言うとそうではない。デスクリサーチから移動等のロジ周りまで、ローカルスタッフに依存せず現地語で自立して業務を進められるメリットは大きい。公的組織の作成する各種統計情報も英語でカバーされている部分もあるとはいえ、細かい情報までアクセスするには不十分と言わざるを得ない。

 

また、ビジネスもあくまで人と人の関係であり、タイ語を操る日本人、というのはそれだけで面白がってもらえる。

 

タイ人同士の会話に隠れる機微を察知する能力も、交渉の場で役に立つ。

タームシートの内容につき協議する会議の場で、クライアント企業側が、ビジネスセンスの欠落した日本人弁護士の作成した甚だ失礼な一文を入れることを打診する、という場面に出くわした。担当者としても本意でないものの、社長のご意向ともあり、少なくとも当該条項の修正を要求した、という体裁を整えなければならない、という複雑な状況にあったのだが、先方の反応次第ではディールブレークともなりうるのでは、という緊張感があった。英語で恐る恐る担当者が口火を切り、先方担当者同士がそれに対してタイ語で議論する、というのを聞きながら、大事にはならなさそうだ、ということをいち早く把握できたことも、有用だったと言える。

 

 

語学は武器になりうるか、という問に対してつらつらと雑感を述べてきた。

私見を要約すれば、英語は役に立つ、そして日系企業は総じて英語力が低いため、英語でビジネス実務を推進できる力を身につければ、それだけで大きな差別化要因とすることができる。

一方で、英語以外の言語(いわゆるローカル言語)については、優先度はそれほど高くない。習得コストに対し、明確に役に立つ、と感じられる場面はそれほど多くないからだ。

できるに越したことはないが、費用対効果の観点からは、グローバル・ビジネスの共通ツールたる、英語の習得に時間を費やすべきであると考える。

 

 

日系駐在員への苦言

タイの首都バンコクは、石を投げれば日本人にあたる、と言われるほどに日本人が多い。

 

最新の海外在留邦人数調査統計(H30年)によれば、米国(42.6万人)、中国(12.4万人)、オーストラリア(9.7万人)に次ぎ、タイは7.2万人となっており、世界第4位の規模となっている。首都バンコクへの経済的な一極集中を背景に、駐在員もバンコクに密集しており、また年間160万人を超える日本人観光客、そしてビザなしの所謂“沈没組”が加わるため、世界一日本人の多い都市というのが実感である。

 

日系駐在員の多くは、スクムウィットと呼ばれるエリアに群れをなして暮らしている。日本人学校や日系テナントの出店する商業施設等、生活インフラも整っている。日本人同士の会合等に顔を出すと、地区名を省略して番地のみで話が成立しているの見ても、彼らが「スクムウィット」という地区で生活していることを暗黙の了解としていることが伺える。ちなみに僕は、少し離れたシーロムというところに居を据えているが、これはオフィスが近い、という通勤上の利便性に加え、日本人駐在員と極力、接触を避けたい、という偏屈によるところが大きい。

 

日系企業の駐在員は長くても3年前後の周期で入れ替わり、飲み屋とゴルフ場の引き継ぎをして日本へ戻る。手厳しい言い方をすれば、彼らの関心の殆どは、大きな失態をしでかさないことに注がれていると映る。というのも、日系企業のタイ進出パターンは“超”大手日系企業の生産拠点移動に伴う“腰巾着型”と、進出済の競合に追従、又はIR上の体裁を取り繕う為の“とりあえず進出型”に大別される。何が言いたいかというと、本社自体に戦略が不在であり、少なくとも既存の日系顧客の関係維持さえしていれば、人事考課上マルがつく、というぬるま湯にいるのである。

また、現地法人代表取締役に決済権がないことも多く、意志決定のスピードが遅い。この点、タイ企業からはすこぶる不評であり、欧米・中韓の競合他社に遅れを取るのも無理はない。

 

たこつぼ的な日系企業のあり方は、“海外進出”といえば聞こえはいいが実質的には座標が変わっただけで、国内と全く同じことをやっている訳だ。むしろ、手厚い手当・待遇にいい気になり、植民地に来た王侯貴族よろしくの勘違い甚だしい言動を見るにつけ、日本本社よりも非生産的と感じる。

 

とはいえ、これもあくまで傾向に過ぎない。異国の地でのビジネス機会の開拓のため、日々必死に格闘している諸兄を同列に論じるつもりはない。要するに、「数字を背負っていない奴はだめだ」ということだ。これは、自分の相対するクライアントやパートナーを見定める時にも、いつも頭の中にある。

 

礼節を重んじるタイ企業

一般的に、文化という抽象的な事柄について語ることは難しく、それが外国のものである場合は尚更である。というのも、我々は「日本社会で育った日本人」というレンズを通して当該文化を観察するからであり、また限定的な知識及び体験から帰納的に語らざるを得ないという制約から、安易な一般化の懸念を完全に排斥することは困難だからだ。そう断った上で以下に、礼節という観点からタイの企業文化についての所感を述べてみたい。

 

タイ社会には、礼節に関するいくつかのコードが存在する。最も、煩雑な規範・規則の存在する日本社会を“細則主義的”と評するならば、タイのそれは“原則主義的”と形容することができると思う。つまり、数点の重要なルールを踏襲していれば、各論の部分につき過度に神経質になる必要はない、ということだ(例:社内飲み会の席次、酌 等)。

 

 

1. ワイ(合掌)

ワイ(タイ語: ไหว้)は、タイの伝統的挨拶であり、相手方への敬意を示す挨拶として、公的なシーンで用いられる。親しい友人・知人に対して行うことは基本的にない。日本語訳としては一般に、「合掌」の語が当てられている。具体的な所作だが、僕が日本人に対して説明する際は「背筋を正した状態のまま、“いただきます”の手を、人差し指が鼻の頭に接する直前の位置まで上にスライドする」という、やや回りくどい説明をしている。

日系企業とタイ現地企業のコミュニケーションは基本的に英語でされるため、英米流のコミュニケーション(握手)が行われる場合もあるが、挨拶くらいはタイ式に従うのが印象が良い。

 

注意点としては、目下の人間が先にワイをする、というルールがあることが挙げられる。従って、(目上の)相手の出方を見た結果、挨拶する機会を失しないよう気をつけるべきである。タイミングとしては出会い頭(商談時なら入室後すぐ)に交わされる。タイ語ができるならสวัสดีครับ/ค่ะ(男性:サワッディー・クラップ、女性:サワッディー・カー)と一言添えてもいいが、なくても特に問題はない。

 

目上・目下の定義については、基本的に年齢の上下で決まる。役職・地位に大きな開きがある場合に限り、役職・地位が優先される。なお、「年上に先にワイをされると寿命が縮む」という巷談があるようである。

 

2. 面子

タイ人は面子を重んじる、とよく言われる。 極端な例だが、一罰百戒的に他の従業員の前で叱責する、等の日系企業流のマネジメント手法はタブーである。(文字通り)刺されても文句は言えない。別室に呼び出して静かに諭す、等、部下の面子に配慮したやり方を取らなければならない。東京時代に知り合ったタイ人は、勤務先の上司が同僚を罵倒していたことを挙げ、「俺だったら殺し屋雇っちゃうかもね」とやや過激なジョークを飛ばしていた。

同様の理由から、他者への否定的な評価が、直接的に示されることは少ない。レピュテーションチェックのための関係者へのヒヤリングの際には、語り手の表情や言葉の襞に隠れる細かなニュアンスを見逃さないよう、心がけるべきである。

 

3. 意を汲み取る文化

日本社会と似て、ハイコンテクストなコミュニケーションが目立つ。細部まで詰めた上で業務を進めていくのではなく、相手の意図を汲んで自分なりに進めていく、というやり方を好む傾向がある。個人差はあるものの、相手の意を汲み取る能力に関して、タイ人は非常に優秀であると感じる。何か依頼をした際、こちらの期待値を超えた気配りを感じられるアウトプットが返ってくることが多い。

とはいえ、これも相手との関係性の濃淡次第と言え、結びつきの弱い相手には手を抜くケースが散見される。社外のポテンシャル・パートナーと相対する場合、こちらからスケジュールやタスクを握り、リードしていくということが欠かせない。

また、阿吽の呼吸が必ずしも成立する保証はないため、期限や主要なポイントは明確に指示しておくことが望ましい。さもなければ、なし崩し的な遅滞は免れないだろう。

 

 

異なる社会規範に属する人々と仕事をすることは、共同体内部で完結するビジネスにはない困難に遭遇する、ということだ。とはいえ、相手へのリスペクトを忘れず、ビジネスパーソンとしての作法に則って仕事をすることができるならば、そこに本質的な違いはないと思っている。

 

渡タイ1か月を終えて -本ブログの今後の方針について-

タイ・バンコクで仕事をすることが正式に決まり、初志忘るべからず、と日々の振り返りの為にブログ開始を宣言したものの、全く更新ができていなかった。

 

xingyoshun.hatenablog.com

 

生来の三日坊主によるところもあるが、諸々の業務及びアサインされた案件のキャッチアップに忙殺されており、内省に充てる時間がなかった、というのが主な理由になる。一段落した今は、エアコンのきいた室内でタピオカミルクティーを飲みながら、ほぼ唯一の趣味と言ってよい音楽を嗜む余裕もできた。

 

 

あくまでこのブログは日々の雑感に基づき、自戒そして備忘のために更新していくつもりである。有益な情報を読み手に提供することを主眼としていないため、その点では自己満足という他ない。また、業界の性質上、あまり身元及び所属組織が特定されうるような内容は記載できない。自分だけならいざしらず、所属組織及びクライアントのレピュテーションに響くような懸念は排除したいと考えている。同様の趣旨から、競争優位性の毀損をもたらすノウハウの開示についても、謙抑的にならざるを得ず、そういう意味ではいささかgeneralな内容となることは否めない。

 

とはいえ、東南アジアのマーケットは日本企業からすれば圧倒的に知見が不足しており、かつ日本市場の少子高齢化に伴う内需縮小に加え、米中貿易摩擦を背景に「チャイナ・プラス・ワン」戦略を志向した進出ニーズの加速が想定される。そんな中、現地から“生きた”情報を提供できる数少ないコンテンツとなることは保証できる、と自負している。

 

 

タイで仕事を始めることになった -当ブログについて-

近々、タイで仕事を始める。

長らく、人生におけるマイルストーンの一つとして定めていたことが、現実として目の前に迫っている。

 

僕には勝手に、自身のキャリア上のMissionとして掲げていることがある。

“日本とタイを中心に、ビジネスを通じて、アジアの発展に貢献する”

というものだ。

 

学生時代にひょんなことからタイという国に縁ができた。その過程で出会った人たちとの数々の記憶に彩られた思い入れの強い土地であり、偏愛の対象でもある。

以降、少なくない歳月を自己投資に費やした甲斐もあり、現地の言葉の読み書きも日常レベルなら支障なくできるようになった。ただ、現地のプロフェッショナルと対等に議論ができるレベルに達しているかどうかは、実際の業務が始まっていない今は、まだ確信を持てていない。

 

言うまでもないが、タイで働くこと、それ自体は目的ではない。

ただ、自分が情熱を燃やし、かつ社会に最もインパクトを与えられる働き方を模索した末、ようやく(自分の考えでは)Missionを実現する環境として最も可能性を感じるファームの一員として、彼の地で働く機会を得ることができたのは、素直に嬉しい。

 

とはいえ、これはあくまで通過点であり、始まりに過ぎない。そこで、惰性にかまけて徒然に日々を過ごさないよう、日々の自省の為にも、備忘的に日記(のようなもの)をつけていこうと考えた。

 

ひいてはこの個人的な記録が、タイで働くことや、タイという国に関心をもつビジネスパーソンや学生にとって、何か価値のあるものとなるのであれば、これ以上の喜びはない。